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来月6月18日は、ブラジル移民100周年 [BRASIL100]

三船敏郎が存命の頃、アメリカのリトルトーキョーでクリーニング業を営んでいたドラマを見た。息子は日系人のアメリカ兵になったが、うろ覚えなので恐縮だが、なんとなく疎外され、2国間の中で「私は何者」なのだということに揺れる人々の過酷な日々が描かれていました。子供か学生の頃に見た気がします。
つい最近は、森光子さんと野際陽子さんがNHKでブラジルと日本に分かれた家族の姉妹のドラマを演じていましたね。

最近、GANGA ZUMBAを聴く様になって、今年がブラジル移民100周年であることを知りました。
(ハワイへの移民はもっと早く、また少々事情が違うので、また別の時にでも)

そんなことで、子供向けの本はじめ数冊を図書館で借りてみて、概要を知ろうとしはじめたのです。が、子供向けの本が表現が淡々としているのですが、どうしても、こんな私にも心の琴線があってですね、読みきるまでちょっとしんどかったです。

私の母がもう少し若い頃、美空ひばりさんのご葬儀に集まったファンだったブラジル人(顔は日本人)とお友達になり、何度かお茶をしたという話を聞いていました。結局帰国してご縁が終わったのですが、美空ひばりさんというのも関わってくるのだなあと、最初は不思議に思いました。でも、日本のスターだったのですから、当然でしょうかね。

移民会社も統合を繰り返したりして、そういうのも影響があった様な記述もある様です。
途中の歴史は詳しくないですが、今ジャイカの施設(横浜 赤レンガ近く。今後、全国に広がるということの様です)で歴史が見られる様です。今特別展をやっています。

みなとみらい周辺は、アフリカとブラジル移民100周年(なお最初の移民船は横浜でなく、神戸から出ています。念のため)の関係もあり訪れたいエリアです。

相手にした自然、目の前の現実、命のシビアさ・・・乗り越えて根を生やした。

宮沢(MIYA)さんもこんな具合なことを言っていた様に記憶しています。
「現代の日本における移民や外国籍の市民に対し、どう向き合うのかも考える機会になるだろう」と。

私も簡単に友好精神だけで感情に任せて語れないものの、実際、他国籍の方達が私達の生活を支えているのは事実。
そのあり方はどうであれ、市民としてどの様にむかえてゆくか、いつまでも曖昧にはできないでしょうね。
あなたのうちの液晶テレビ・・・無縁ではない製品が多いはずですよ。

そういう意味では、宮沢さんのお考えに賛同しています。
まあ、考えるのは、これから、すこし頭の中に詰め物をしてからですが。

GANGA関連のサイトではサポーターになると、個別のミュージシャン達の目線から見た記事が読めますので、
存在のご紹介だけしておきます。(利用については自己責任でお願いします)
http://www.gangazumba.jp/brasil100/100.html


最初の移民線 笠戸丸は1908年4月28日に出航、同年6月18日にサントス港(サンパウロか?)に到着。
その、6月18日は記念切手、記念硬貨(笠戸丸デザインの500円)、記念硬貨セット(先の硬貨と他の硬貨のセット)が
発売されます。硬貨のデザインは著作権問題があったそうですが、まあ、無事事業はなしとげられる様です。

ブラジルだけでなく、南米、北米などなど、中国大陸の方ほどでないにしろ、今の日本の地域出身の人がたくさん
海を渡って、命をつないで今に至っています。

衣食住の全てが恐らく移民会社からの天引きからはじまったのではないでしょうかね
初めて出会う病気のために天にささげなくてはならなかった多くの命。

知らないからこそ、あらためて、しっかり記憶したい。そう思っています。


子供らに花束を、年寄りにゆりかごを、明日産まれ来るものに絶大な愛を[晴れ]歌詞とは少し違うかも。

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