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番外編(3回目かな)1秒は1秒のままでいい。効率化とか反対したいなあ、そろそろ。 [断片]

番外編です。3回目だったでしょうか。

最近は過ぎた時間を愛おしく思ってしまいがちのせいか、まあ過ぎた時間には寛容。
(赦されないことも、たくさんありましょうが)

とある雑誌で「いるもの、いらないもの」を、わりと良くモノを言う人たちが書いていたのであります。不謹慎ながら、面白おかしく拝見しました。いやあーそうでないと、真剣に「そうだ」とか「いいや」と感情移入しそうだったからなんです。

思えばですね、不満は多分ないと思っているのですけど、大人になったということ以外に、いつからか「この街はつまらないなあ」(帰ればと言われれば反論できないですが)と思う瞬間が時々あったのです。かつて。
勿論、好き好んで都会暮らしを選んだからということも自覚してるのですがね。

欲望の消化効率があがるとか、確率が向上するとか、そういう損得勘定が魅力にあったんだろうと思うのですけど、
都会に行きたかったし、今の暮らしにつながるので、それはそれで肯定はしています。

でも、愚かしいことを書くのですが、「効率」が一体誰を幸せにし続けているだろうかと、悲観してしまう部分もあるのですよね。
洗濯機、掃除機、炊飯器とかのレベルではなくてですね。

車輪を回しつづけるハツカネズミの様な気分にならないでもない。それをいっちゃ御仕舞いだよってことなのでしょうけれどね。
音楽の話題などではないのですが、1秒は1秒でいいだろうと・・・いいたくなったのですね。

深い意味を込めることはできない(思索が浅薄なので)のですが、じっくり、1秒を噛み締める様な感じ方にこだわりたいなあと思うこの頃なのです。

こうしてパソコンで好き勝手なことを皆様に放言しているということは、少し矛盾しているのです。承知しています。
ですが、「スカスカだなあ」とか「不便だなあ」という話題にもたまには出会いたいということなんですね。

今の都会も、今の少年達には「ワクワク」することが、たくさんあるんだろうと思います。いつかの自分もそうだったし。
そう想像しつつも、昔でも過密などと言われていたのに、さらに窮屈になってゆくのは何故だ。

買い物は、おやじさんと会話もできる普通のお店があって、なんとなくいつも見る顔があって、「お、高校入学したんだあ」とかまあ、おせっかな監視もあって・・・そんな暮らしを、いつ壊しはじめたのか、どうやって加担(したんだろうな)したのか、覚えていないのが、実に悔やまれる。コンビニ弁当などを食べた自分がいけなかっただろうか、仕方なかったのだろうか・・・。


放置できなかった経緯が色々あるのでしょうか、「便利で儲かるなら、問題ない」と、いつまで太ってゆくつもりなのだろう。地球温暖化や各種資源のお話は専門家でないので、因果関係を断じることができないけれども、保健福祉や環境で目指す方向性と国土保全や産業構造転換や各地域での雇用創出との兼ね合いとが、もの凄くねじれている気がしてしまうのです。

色々な利害からご立腹される方も多いとは思うのですが、今日、バスを見ていて思ったこと。
バスはこの40年、時代に寄り添いながら、状況をわきまえた生き残り方をしてきたのかも知れないと、思ったのであります。
路線の増減はあるだろうけど、変わったのは、車体、デザイン、運賃の支払い方、情報提供くらいで。いつもの停留所で、生活空間をきっちりつないできた。タバコ屋がマンションになったり、学校がxxxセンターに変わったりしているが、停留所にバスはくると。バスは待つ。渋滞の影響で時間に遅れる可能性がある。でも、変わらない温かみを感じたのですよね。
(安易なノスタルジーとの批判は否定しません)

最近の関東の鉄道を中心にした整備、商業空間、居住空間の大規模開発や高密度建築を眺めるにつけ、利益を享受する立場である一方で、このままでいいのかなあ、と物憂げになる日もあるのです。

パラダイムシフトしたのだろうから杞憂なのだろうけど、かつての夢の団地だったところではコミュニティーの維持や独り老人問題との関わりで頑張ってらっしゃるところが多いと聞くことがあります。

この数年で随分変わった関東平野。大規模災害があった場合に、どういう光景として残るのかと想像すると、私の貧困で悲観的な想像からは、少々怖い光景も・・・浮かばないでもない。
(でも、前向きにゆきたい)

時を戻すことはできないだろうけれど、やはり、少々、政権、政治家、地方自治体が標榜している暮らし方と、企業経営、利用者との相互作用の結果としての経済活動のアンバランスは感じてしまうのです。

あいまいな表現ですが、隙間がなくなって、本当なら人の目も利いて犯罪などもへったはずなのだろうけど、無関心の巣窟になっただけだったり。奨励はできないのだろうけど、戸外生活せざるを得ない人の居場所がなくなったり。
かつて、そういう方達は、ある街のあるエリアにいけば、まあいて普通だった。街中に傷痍軍人さんがいる街もあったし。

国際都市になることとの引き換えだったのでしょうね。多分。国際都市になったといっても、別に時の政府が標榜する経済を中心とした復興の延長であって、他のことは多くの犠牲と、力があってお世話になっている国の皆さんについてきたということに見えます。(教科書を見てはいないですが、世界史の中に日本国になってからの日本の歴史を位置づけるとそう見えるのではないかと、一面では想像をするのです)


ということで、「社会主義」からの脱却を要求されることもあるとは言え、中央政府も少しは関心もってくれても良い気がする、この頃。税収も時間も限られていて、借金も恒常的に返し続けてゆくのだが、いいのか、このまま突き抜けていって。


耐震偽装の事件の関係で、建物の堅牢さ、円滑な審査には関心と監視が行き届いているかも知れない。また住宅着工件数など経済指標への影響にも関心が高い様だ。関係業種の業況、投資環境としての価値アピールという点で広く景気という面でやむを得ないでしょう。

ただ、災害時に本当に助かる命の数への影響(リスク増加といってもいいだろうか。ないとは思えない)や、ライフライン復旧コスト増加懸念とその負担はどうするのか、誰がコミットしたのか?、少しは点検や監視があっても良い気もする。

災害時など、困ったことがあれば、皆が助け合って、命を守るのは当然。

そういう話とは別に、不測の事態に対しての備えや、各種の態勢整備の考え方が分かりやすく整理されていて欲しいという気がするのですね。各自治体単体ではなく、関係する広域な自治体間のある程度の整合性も保って。
(既に行われていて、情報にアクセスしていないだけなのでしょうが、隣接圏の人である私があまり見解を見たことがないので、もしきっちり定まっているなら、多少広報が足りないのではという気はします。議会の議事録を見よといわれるとちょっと寂しいですが)

交通が便利になって、夢のある居住空間、ワクワクする商業施設は嬉しい。
その一方で、過密さが、仇にならないか、居住地域外も含むので、主として消費税のタックスペイヤーとして、ぼんやり考えるのであります。
政治家でも役人でもないし、それら施設を利用もするのだから、言えた立場ではない気がしつつ。


最近はまた話題にならなくなったけれど、大深度地下鉄というキーワードがありましたね。
お話として、そのままというのも、ありではないでしょうかね。地底国家創造みたいな感じで[ひらめき]




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