SSブログ

番外編4回目(6月23日は沖縄では慰霊の日) [知る努力と勇気]

連続投稿ですが、番外編。4回目。

6/23という日は、沖縄では「慰霊の日」。追悼式典などのニュースをご覧になった方も多いと思います。

また、八重山(石垣島があるあたりの、現在の日本の中台およびフィリピンと国境を接する地域)では、戦争中の強制疎開のために、疎開先でマラリアで亡くなった方を追悼する式典も行われる日であります。

私は歴史の専門家ではないので、伝えたいことと今回は少々縁遠い、例えば、先の大戦の世界の他地域での惨劇、大日本帝国が他国にした人道的に赦されないことについてのお話は触れません。

さて、先の大戦に関連して。
当時の日本、末期はどの地域の生活も、どの階層の人々も相応に苦しい生活で、空襲の恐怖、被害があったと聞き及びます。

都市、工場地帯への激烈な空襲、そして広島、長崎への人類史上、唯一の原子爆弾投下。(原子爆弾は、是非は語れませんが、罪に対する罰があまりに大きすぎた、そう思うことがあります)

私は、どうやら大和人という様に分類されそうですが(顔つきは弥生系ではないので、純粋な大和人かは不明ですが)、すこし沖縄に触れたいと思います。
沖縄の血を継ぐものではないので、意見は言えないの気がしていますが、気持ちを。


沖縄はペリーが江戸幕府に開国をせまる前に、最初に開港させられた、前線になった土地だそうです。

当時の沖縄は一つの王朝であったわけですが、日本からみると島津藩の支配下。

アメリカからは最前線として位置づけられ、攻略された。

先の大戦でも、南の最前線は沖縄になってしまった。(満州、樺太、北方の各島の話も触れません)公式な文書含め様々な文書で検証したわけではありませんが、唯一の地上戦と紹介されますが、当時の責任者達にはどういう見識があったのか、月並みかも知れませんが、私は疑問に思っています。

戦艦大和は沖縄に向かう途中で猛爆撃に会い沈没。本土への上陸阻止の時間を稼ぐという、なんとも惨い任務。
海に消えた命を冒涜するつもりはありませんが、作戦の内容から沖縄を別とした印象を受けるわけです。沖縄の大事さが分かっていたら作戦も異なっていたでしょうから。

関与が色々といわれていますが、大日本帝国の軍隊が、現地住民の命を守ることができなかったこと、集団自決さざるを得ない雰囲気づくりに関与したことは、証言を耳にし目にすると、疑うことは難しい気はしました。
また、軍に所属する人たちが、隠れる住民を追い出して危険にさらしつつ、延命を図ったケースがあるとも。
兵隊も赤紙で強制的に徴兵された方もいるので、一概に責められないとは思いながらも、沖縄のジャングルでひっそりと息を静めているところをです。

軍も限界点を越えていたのでしょう。軍人も同じ日本人だったとして語るとすれば、悲劇が連鎖した状態といえましょうか。(沖縄の方には許容できない表現でしょうけれども)

ということもあり、戦争のイメージが強いので、例えとして使う言葉そのものは別として、私は当時の大和魂というのが大嫌いです。無理は無理なので。我慢を強いる精神性傾注は・・・・あくまで私は好みません。

さて、命拾いをした方もいらしたそうですが、自決と言う行為で命を落とした方には、本当に言葉がありません。

日本の軍隊ではなく、当時の敵であったアメリカ兵に助けられたという話を聞いたことや映像を見たことがありましたが、
交戦中は隠れている洞窟などに手榴弾を放り込まれたりしたという話しも聞きました。

救われない気持ちになります。

以前、サイパンに行ったことがあります。島の北に参りますと、民間人が飛び降りた崖が今でもそのまま残っています。直下はジャングルです。私は直接は見学できなかったのですが、バンザイクリフという悲劇の崖(下は海)もあると聞きました。
民間人が最後の最後は追い込まれて、命を落とされたのです。本当に救われない気持ちになるばかりです。

戦争自体に救いはないと思われますから、あたり前ではありますが。

時代に逆行しているのでしょうが、グローバリズムというのが、少々苦手な私です。
人間という動物の幸福や、精神の改革につながる様な意義を覚えないのです。

うまく言えないのですが、グローバリズムはどうも、武力的なものと近しい印象があるのです。何故でしょうか、自分でも分かりません。たまたま、この数年間におきたことと、オーバーラップするからでしょうか。

スポーツやゲームの勝ち負けでなく、何か人間の存在を脅かす様な、無理やり勝ち負けの世界に引きずり込む様なそんなコワさを感じるのです。

沖縄戦。触れましたが、申し訳ないですが、お分かりの様に、私は詳しくは存じてはいません。
何冊かの本、写真集、ドキュメンタリーを拝見して、見るたびに救われない気持ちになる、ただそんな人でしかありません。

日本は、本州中心に工業製品や知的労働で世界にのし上がった(過去のことでしょう、そろそろ)と、ものごとを考えがちな気がします。

しかし、ベースになる安全保障上の部分で、基地問題だけでなく、多くを沖縄に依存している実態があるということにも目を向けたいなと思っています。海の国境線の中で、冷戦終了後、今でも緊張状態がある地域があるのです。(私は緊張がない方が嬉しい派ですが)

自衛隊や海上保安庁の配備の話しは、これまたナーバスな話しなので避けますが、
いずれにしても、そこに住民が暮らしていることによって、日本の緊張度の高いある領域を守っているという実態があるということです。

本当に美しい空、海、まあ昔ながらの街並みや自然が残る地域も多いと聞きます。郷土への愛着はとても強い。
そういう場所と暮らしがあって、つらい過去に今でも向き合って、受け止め、しかし、しなやかに人生を歩んでいる人たちが、暮らしている。

私の現時点の整理は、まだまだ中途半端だろうと自覚はしています。
ただ、昔の反省をするために、事実をただ受け止めてみたい。まだまだ知らないし、偏見をもって理解をしている気もしますので。知ることで、沖縄から遠ざかりたくなる可能性もありますが、それでも、自分の頭と心で考え感じて、心に留めながら、暮らしてゆければと思うのです。

さて、軍隊は組織中の組織だと日ごろ思っています。最近また、文民の社会にも似た組織はたくさんある気がします。かつては経済戦争という言葉があった位ですし、不祥事が多いですね。風通しが良くても、告発されるまで改まらない。自滅寸前のいけない状態で動き出すから、他人にも組織にも良いことがない。

願わくば、人類普遍の正義や幸福という理念があるのなら、その理念にたてなくなりそうな時、自己変革できるものであって欲しい。他に害悪を与え、自らも滅びるだけでは、あまりにも悲しい。

戦争が自国で起きるという状況とは幸いにも遠くなった日本の暮らしですが、類似の悲惨なことは、そんなに遠い訳ではないのかも知れないと、ぼんやり思うのです。



戦争ではありませんが、私の祖母は関東大震災を生き伸びることができました。
田舎に帰り、母が生まれ私がいます。命そのものに感謝したいと思います。[満月]



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

猫をみた僕はドラマーが嫌いだった ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。