ぼちぼち、はじめましょうかね。今日は、ヨナグニのことを少し。単なるつぶやき。 [旅]
144回目になります。
だいたい1ヶ月位、休んだですかね。
旅から帰ってきて、先月までのスピード感みたいなものは戻らないですが、
音楽を中心に話題が多かったせいだろうとも思いますので、
ゆっくり、ゆっくり、また思いついたら、書きます。
スピード感も、しばらくは、戻らない気がします。
多分いつでも休みにするとは思いますが、
気まぐれが命のブログですので、ご理解の程を。
多少、台風8号に遭遇したあたりから、なんだか、良し悪しは別にして、
単純に力が抜けた様な気がして、肉体はしっかり活動はしているのですが、
脳みそはわりとお休み中という感じみたいです。
まあ、気が向いたら、覗いてください。
まずは、先日の旅に関わることを書いてゆこうかと思います。
(途中に何かあれば、音楽など違う記事をはさむとは思います)
いつもは他人様のコメントや作品を引用して、
あーだーこーだと書かせて頂いているのですが、
いつもよりは、そういう引用が少なめになるので、
くどい感じとかあるかも知れませんが、ご容赦を。
全体的な様子は、表面がぼちぼちと更新しております。
写真つきで、雰囲気が分かると思います。
時間差をずーっとあけたまま、こちらは、マイペースで進むと思います。
今日は、旅に出る前の気分みたいなものを、記録しておきたいと思います。
与那国島には、前回は2007年4月に訪ねており、
その時に、何故だか「もう一生来られないかも知れない」と思っておりました。
空港にはタラップで降りて歩くのですが、その一歩一歩から、大事にしておりました。
ひどい低気圧でしたが、どうにか2000mに延長された、
与那国空港に着いたという感慨もありました。
馬遊びのためだけに、1日弱の滞在。
そういう滞在でも、与那国に行ったら寄らなくちゃということで、ユキさんちでカレーを食べ、
そして目的の馬遊びをしました。
翌日はすこぶる好天。
親族が体調不良で島の診療所にかかったりと、色々ありましたが、
島1周ドライブをして、ナーマ浜の春の美しい青を目に焼きつけ、
歩いて飛行機に乗り、
そして島を去りました。
風向きの関係か、離陸後島はあっという間に右手奥に消えてゆきました。
旅は続いていたので、楽しみはたくさん残っていましたが、
与那国島との別れは辛かったです。
その後の八重山地方への旅の話はこのブログにも昨年記録しましたので省きますが、
与那国に行こうという計画自体がもう出ないだろうと思っていました。
それが何故か、私の気持ちを汲んでくれたのかどうかは別として、
小さい親族達が馬に興味をもっている様子であることもあり、計画することになりました。
そして実際に行けた訳で、ありがたいことでした。
色々と公に書く必要はないのですが、私にとって与那国島は、
与那国島との縁がなかったら、違う人生であったかも知れない、
という思いがありまして。
この島に遊びに行かなかったら、多分、今の親族を構成していなかったでしょう。
親族に対して立派な大人ではありませんが、とりあえずは、そういうことなのです。
それに、ここ数年の私生活を健康的なものとしてくれたものへの気づきも、
詳細は書きませんが、全ては与那国島からの縁なのです。
また、この島への印象から発展して、八重山に、先島に、沖縄全般にという様に、
関心が芽生えてもいった様にも思います。
ちょうど15年前の与那国への旅からは、太い線が今に続いています。
ひたすら浜で遊んで過ごした旅から。
そういえば、与那国だけでなく、八重山から帰る時も、
「これが最後になるかも知れない」とつい良い聞かせてしまう自分がいます。
「また来たい」の裏返しなのですけどね。
旅の前後と旅の最中に大きな気持ちのギャップがあって、
旅の最中は天国とはこういうところではないのか、などと信仰もないのに思ったりする程。
近くの公園、山、海、川、好きな場は気持ちのいいものだから、
旅が全てなんて思ってはいないです。
地味な気分が多いけど、まあこうしているのも旅なわけで。
辛かったり、心が痛かったり、嬉しかったり、面白かったりと発見もありますしね。
風が気持ちいいとか、お日様がでていて嬉しいとか、緑がまぶしいとか。
大事な場面もありますものね。
まあしかし、旅で遠くに行くのは、やはり楽しみではありますね。
一般の稼ぎ人なので、キリとか条件が常にありますが。
さてさて、こんなことで、まあ今回は与那国にそういう思いがありましたという話でした。
計画している段階でだいぶ薄くなったので、重たくならずに島に入れましたけれどね。
島に入ってのことは、また、こんど。
書けるかなあ、気持ちと相談してみます。
では、また。
サイドB
だいたい1ヶ月位、休んだですかね。
旅から帰ってきて、先月までのスピード感みたいなものは戻らないですが、
音楽を中心に話題が多かったせいだろうとも思いますので、
ゆっくり、ゆっくり、また思いついたら、書きます。
スピード感も、しばらくは、戻らない気がします。
多分いつでも休みにするとは思いますが、
気まぐれが命のブログですので、ご理解の程を。
多少、台風8号に遭遇したあたりから、なんだか、良し悪しは別にして、
単純に力が抜けた様な気がして、肉体はしっかり活動はしているのですが、
脳みそはわりとお休み中という感じみたいです。
まあ、気が向いたら、覗いてください。
まずは、先日の旅に関わることを書いてゆこうかと思います。
(途中に何かあれば、音楽など違う記事をはさむとは思います)
いつもは他人様のコメントや作品を引用して、
あーだーこーだと書かせて頂いているのですが、
いつもよりは、そういう引用が少なめになるので、
くどい感じとかあるかも知れませんが、ご容赦を。
全体的な様子は、表面がぼちぼちと更新しております。
写真つきで、雰囲気が分かると思います。
時間差をずーっとあけたまま、こちらは、マイペースで進むと思います。
今日は、旅に出る前の気分みたいなものを、記録しておきたいと思います。
与那国島には、前回は2007年4月に訪ねており、
その時に、何故だか「もう一生来られないかも知れない」と思っておりました。
空港にはタラップで降りて歩くのですが、その一歩一歩から、大事にしておりました。
ひどい低気圧でしたが、どうにか2000mに延長された、
与那国空港に着いたという感慨もありました。
馬遊びのためだけに、1日弱の滞在。
そういう滞在でも、与那国に行ったら寄らなくちゃということで、ユキさんちでカレーを食べ、
そして目的の馬遊びをしました。
翌日はすこぶる好天。
親族が体調不良で島の診療所にかかったりと、色々ありましたが、
島1周ドライブをして、ナーマ浜の春の美しい青を目に焼きつけ、
歩いて飛行機に乗り、
そして島を去りました。
風向きの関係か、離陸後島はあっという間に右手奥に消えてゆきました。
旅は続いていたので、楽しみはたくさん残っていましたが、
与那国島との別れは辛かったです。
その後の八重山地方への旅の話はこのブログにも昨年記録しましたので省きますが、
与那国に行こうという計画自体がもう出ないだろうと思っていました。
それが何故か、私の気持ちを汲んでくれたのかどうかは別として、
小さい親族達が馬に興味をもっている様子であることもあり、計画することになりました。
そして実際に行けた訳で、ありがたいことでした。
色々と公に書く必要はないのですが、私にとって与那国島は、
与那国島との縁がなかったら、違う人生であったかも知れない、
という思いがありまして。
この島に遊びに行かなかったら、多分、今の親族を構成していなかったでしょう。
親族に対して立派な大人ではありませんが、とりあえずは、そういうことなのです。
それに、ここ数年の私生活を健康的なものとしてくれたものへの気づきも、
詳細は書きませんが、全ては与那国島からの縁なのです。
また、この島への印象から発展して、八重山に、先島に、沖縄全般にという様に、
関心が芽生えてもいった様にも思います。
ちょうど15年前の与那国への旅からは、太い線が今に続いています。
ひたすら浜で遊んで過ごした旅から。
そういえば、与那国だけでなく、八重山から帰る時も、
「これが最後になるかも知れない」とつい良い聞かせてしまう自分がいます。
「また来たい」の裏返しなのですけどね。
旅の前後と旅の最中に大きな気持ちのギャップがあって、
旅の最中は天国とはこういうところではないのか、などと信仰もないのに思ったりする程。
近くの公園、山、海、川、好きな場は気持ちのいいものだから、
旅が全てなんて思ってはいないです。
地味な気分が多いけど、まあこうしているのも旅なわけで。
辛かったり、心が痛かったり、嬉しかったり、面白かったりと発見もありますしね。
風が気持ちいいとか、お日様がでていて嬉しいとか、緑がまぶしいとか。
大事な場面もありますものね。
まあしかし、旅で遠くに行くのは、やはり楽しみではありますね。
一般の稼ぎ人なので、キリとか条件が常にありますが。
さてさて、こんなことで、まあ今回は与那国にそういう思いがありましたという話でした。
計画している段階でだいぶ薄くなったので、重たくならずに島に入れましたけれどね。
島に入ってのことは、また、こんど。
書けるかなあ、気持ちと相談してみます。
では、また。
サイドB
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