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僕はドラマーが嫌いだった [音楽]

裏面の21回目です。どうも。RSSリーダーや収集エンジンが機械的にアクセスしている分もあるとは思うのですが、一人、二人位はたまに読んでいただいている気配もありますので、ナローに(狭く)良い感じで参ります。
遊びに来られた方には、感謝です。期待は裏切ると思いますが、まあ、覗き見感覚でどうぞ。


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話しがそれますが、21というとですね、私は巨人の高橋一三投手を思い出すのです。はじめてのグローブは親戚のお兄さんから譲ってもらったものだったのですが、親に買ってもらえるというので選んだのは青いグローブでした。
格好良くみえたんですよ、高橋選手の青いグローブが。勿論、高田選手(現ヤクルト監督)の青グローブも好きで、僕は自分の青いグローブに愛着をもってました。高田さんは外野(たしかレフト)からサードにコンバートされた頃で、独特のフォームでするどい送球にしびれたものです。

スポーツ観戦に興味がなかった私がたまたま、初めて見たプロ野球の試合は、NHKでやっていた、巨人中日戦。
与那嶺監督率いる中日がセリーグ優勝を果たし、強靭がV10を逃した試合でした。

王選手の714号、715号、755号、756号あたりは、毎日テレビで、まだか、まだかと見ていました。

そんな頃、サッカーに夢中だった少年達が三浦和さんだたり、中山さんだったりするのですよね。
それから、Jリーグでの活躍期間は短いですが、色々な逸話を残している水島武蔵さんとかね。
奥寺さんなどは、既に海外に行く直前の頃でしょうかね。たしか、もっと大きくなった頃に、サッカー少年達が口を開くとペレ、マラドーナ、ベッケンバウアー、奥寺という感じでしたからね。

主題に戻りまーす。

僕はドラムを少し演奏できます。以前は、起きている時間のまあ1/3とか1/4はドラム叩いている様な年もありました。
でも、最初はドラマーが嫌いでした。

初めて見たドラマーというと、テレビなどのバックバンドですね。あとGSのドラマー。スティックのもち方が、多分だめだったんですね。神様の様な、ジョージ川口さんとか、今なら深々と頭をさげなくてはと思うのですが。まあ、子供の頃見ていて、レギュラーグリップのスタイルがどうも、子供の私には格好良くは見えなかったんですね。
別の映像で、時代のせいなんですが、スーツきて、長髪でめがねかけて、レギュラーグリップで、薄い音で歌謡曲のバック。
見た映像がまあ、相性が合わなかっただけですが、印象がよくなかった。
(今見たら、かえって新鮮に感じると思います。ザ・バンドのドラマーは大好きですよ)

次に、ビリーコブハムとかに行く前に、つのだひろさんの写真を見たのですね。
すごい迫力があって。で、その後、何かの拍子に、ビリーコブハムも見たんです。似ているなと思っちゃったんです。
アクが強くて、もう、繊細な世界とアクの強い世界の両極端に混乱して、ドラマーへの印象が悪いほうに増幅してしまったのです。

音楽とは全く関係なく、単なる見た目ですね。本当、失礼な話で。
ちなみに、つのださんは、今の僕は大好きですよ。ただ当時はびっくりしたということで。ハードロックなど聞く前のお子様時代ですから。

ミカバンドの初代ドラマーですし、色々と実験的な試みもされてきてる方なんですよね。
メリジェーンだけの人ではないのです。

さて、そんな僕はラッパが格好良いと思っていたんです。えー、どこがー、と思う人も多いでしょうが、
日本だとトランザムとか。

ギターはうるさいから大嫌いだったんです。家に叔母が両替のために買ったストーンズのシングルがあって、聞いたけど、
幼稚園生の私には「うるさいよー!」という感じで。これがために、ギターが嫌いに影響があったかも。今は大好きですが。

バタやんのギターは平気なんですよ。よほど格好悪いといわれそうですが、演歌とかマドロスものの楽曲。
だから、なんだろう、なだこうじとモダンカンカンみたいなとか、玉川カルテット、かしまし娘なんてのは、好きなんですよ。
アフリカのレコードを無作為に買ってきたときは、「おーなつかしい」とか思いました。誰を聞いたのか、分からないまま、
レコードは処分してしまったのだけど。

さて、ドラムですが、たまにテレビで、加藤茶さんとか西条秀樹さんが、ドラムソロをやるコーナーというのがありました。
マッチドグリップ(加藤茶さんはレギュラーだったかも)でバシバシ叩いていて、格好良いのかもと思うこともあったのですね。
少しイメージが良くはなったかも知れないです。

でも、だいたい、ドラムの意味やら楽器の構成さえ知らない。

そんな私がある時、鼓笛隊で大太鼓(太っていたからです)の担当になって、運動会やら地域の行事やらで演奏しながら屋外を行進したりする様になったのです。大太鼓は私一人で、女子が小太鼓、中太鼓(スネア、タムタムという音色に近い)。
だんだん、太鼓の音に親しむ様になって。金管楽器とかフラッグなんて買えるほど資金の余裕はなかったのですが、創立100周年の節目だったこともあり、県の大きな行事に招かれてか呼んでもらってか分かりませんが、リコーダー中心の鼓笛隊(他の学校は皆金管だらけ)で演奏したのであります。私の太鼓からはじまる曲などで、楽譜にあるフレーズでなく、先生に提案してリムショットをいれさせてもらったりして、だんだん音楽の楽しみを覚える機会になった思います。

それでもまだドラマーへのイメージは変わらなかった。

そうこうしているうちに、小学六年生の春。一体型の小さいコンポ(今のミニコンポが横にひろがった感じ)を買い与えてもらったのです。親の知り合いのお兄さんが、YMOのソリッドステートサバイバーを貸してくれました。メタルテープにダビングして、毎朝、寝るときも「トキオ」とはじまってタイトル曲(B面ラスト)まで聞いてましたね。そのうち、クラフトワーク、細野さんのソロ(泰安洋行、はらいそ)もかしてもらい、クラフトワークにはまりました。音楽の影響ははじめの頃は、YMOよりクラフトワークから受けていたと思います。YMOは音がたくさんあって、難しく聞こえましたし。気がついたら、好きになっていたということで。

「好き」というのは不思議で、人や情報とつながってゆくのですよね。
テレビでライブ映像を放送するというので、当時の「東京12チャンネル」といった現テレビ東京の「パイオニア音楽館」(司会:小室等、セーラ)でYMOの最初のワールドツアーの映像を録画して朝となく、夜となく見ました。

中でも、多分NYでのプレイなのですが、ソリッドステートサバイバーのドラムが好きでした。ポラードのシンドラムを前に、スネアとバスドラとフロタム、サイドにアルトサウンドのDS-4。そして、当時にしては深胴のスネア(6 1/2インチだったでしょうか。当時は5インチが主流に見えていたので。まあ10インチなんていう人もいたらしいですが。そのうち薄いのが流行るんですがね。)
タムタムが前にないのが、その時は良かったんですよね。当時のずらり並んだタムというのが抵抗があって。
今は「すげー」と思うのですが。タタキこなせないですしね、そういうスタイルではないので。

さてさてYMOのドラムセット(あえて今日はドラマーの個人名は書かなくて良いでしょう)クラッシュシンバルが小さめで、
ぴしゃりという音で気にいる様になりました。その後、好みは大分変わってゆきますが・・・。
ハイハットも普通のロックがシャーシャー言っているのと違って(当時の私の耳のせいで、今CD聴いたりすると多彩な音があります。当然ですが)、粒と空気が一緒になっている様な揺らぎのある音に感じて不思議でした。それから、スネアのアタックの強い音は良かった。

何より、叩いている人が細い人だったので、本当にドラマーなのか?とおもったのです。
今見ると、まあ時代だなあと思うけれど、格好良さも感じましたしね。メガネなんかに。


気がついたら、音の出るものを見つけては、ソリッドステートサバイバー、ライディーン、テクノポリス、東風、中国女、ファイアークラッカーを叩いていたんですよね。シンドラのところは口で音出して。クォーンとかボーィとか言って。

こうして、いつしか、なんちゃてドラマーの道に足を踏み入れたのです。

でも、最初はドラマーに抵抗があったのですよ。今はむしろ当時苦手だった筋肉で叩くドラマーに憧れることもありますが。

そうそう、「アルトサウンドのDS2」を買ったのを思い出しました。

DS4は有名だったのですが、楽器屋さんが付き合っている卸になかなか話しが通じず、朝頼んで、ものが届くまで夕方までかかりました。田舎から都会に出かけたのですが、品物が来るまで暇つぶししてました。一緒にいった友達は退屈だったろうなあ。楽器屋ばかりにゆくし、意味わからないし。プロフェット5なんかもあるのですが、使い方分からないから、鍵盤さわるだけで


大人になったらプロフェット5(定価:170万)を買う、などと良くノートに書いて夢を見ていました。
プロになった人は別として、同じ様なこと考えていた人いないかなあ。
イーミュレーターあたりになると、金額のかさがちがってくるし、シングラビアとかフェアライトなんかも桁が違いますからね。
プロフェットはデザインも良かったですね。いまだに、僕は使い方知らないんですが。

さて、DS4は15万位した様に思います。DS2は5万弱くらいで・・高いのです中学生には。どうにか手が出る商品だったのです。中学生の頃でしょうかね。DS4(YMOが出した音のうちの一部ですが)の音は、性能の違いで出せないのですが、類似の音は出せました。

しかし、実は何よりも、プリセットされている、スネアとシンバルとして、ピンポン録音での音楽制作に大活躍しました。
このDS2があったから音楽を創ることを始められたし、ドラマーへの抵抗感が薄らいでいったのであります。

近しい時期に、生ドラムも仲間と共同で手に入れていたと思うのですが、単独のものとしては、私のドラムはDS2ですかね。
コンピュータで叩かせたわけでなく、自分のスティックで叩きましたし。

こちらのドラムの話は、いかにしょぼかったけど、嬉しかったかという話しをいつかしたいです。


さて、今は、テノリオン、カオスパッドがあって。私MC-500というシーケンサーを持っているのですが、記録媒体の2DDというFDがもう売っていないのですよ。改造すればね、きっとなんとかなるとおもうのですが。
まあ、とにかく、今はもう生音もシンクロしてMTRに録る必要もなく、ハードディスクに軽いノリで取れるのですものね。
ギターもアンプシミュレーターがあり、スタジオで録らずとも、相応のクオリティーは出るのでしょうね。

今、良い時代ですよね。楽しそう。エレクトロニカでも、最近のテクノでもDTMのソフトをばしっと揃えなくても、楽しめるのはいいですよね。

清志郎さんの以前の作品に高齢化社会(だったかな)というR&B(今のじゃないよ。リズム&ブルース)があるんですけど、75歳のDJとか出てきたらいいよね。三橋美智也と村田英男と春日八郎とか。民謡ナイトとか・・・。

だいたい60歳の人はビートルズ世代だし、その上はベンチャーズだし。マンボ、タンゴもありそうだし。

20代、30代ばかりでなく、まあ歌はちょいと抵抗あるのも出てきそうだけど、オリジナルをやる50歳以上のアマチュアが増えたら、いいだろうなあ。

街でギターを弾く70歳。これもありでしょ。自分がやれって?考えておきます。何か。


(いつかに続く)

BANG THE DRUM ALL DAY[パンチ]

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