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島旅の予告とか、自分のための長い独り言(やや重ためかも) [脳みその霧]

208回目の裏面。気まぐれ更新で、すみませぬ。

ツイッター同様、自分用公開メモ的な電磁的記録であり、ご容赦。

ぼちぼち、今年度(ってまだ終わってないから、言いすぎか)の、南西方面の島旅話など。

サイドBも書くか。

表面で既に書かれ始めているので、ここでは書かなくてもいいんだけども。

私的に記録したいことも、書いてみると出てくるだろうからね。

気分とか、思い込みとか。


表面より裏面は偏ってますんで。

個人の感想は偏っていたいなと。


しかし、昨年までの島旅の記事。

回数も記事の中身も長かった。

こないだ読み直したら、内容は悪くないかも知れないけど、

基本的には文字しかないブログだから、長くて、つらいねえ。

いやー、あの時はあれでよかった。でも、今度は、違う様にしたなと思いました。

私も年を重ねたので、目も悪くなったせいもあるし。

どこまで、シンプルに、偏りのある記録を書けるかは、自信ないけども、

さらっとできないか、やってみますか。一応、気持ちだけは挑戦。

次になるかどうかすら、約束する自信はないので、いつから、掲載するも考えます。


あー、甲子園決勝。

予想の対戦とは違いましたが、

興南高校の連覇と夏の初優勝、心からおめでとうを言いたいですねえ。

2006年でしたか石垣島の八重山商工の活躍とともに、

私の脳みそが健康なうちは覚えちょるよ。


準優勝の東海大相模にも拍手を送りたいなあ。


さてWカップ、島旅、甲子園。あー残暑だね、残暑。


ここからは長い独り言をパブリックに書くという、ブログならではの行為を。

最近、心が痛んだり、冷える様なニュースがあって。

切ないっす、本当に。

比喩としてですが、人間を辞めようかと思う位だなあ。

ちょっといい子になりすぎな書き方ですけどね。


さすがに、想像力がないとは思わないですね、最近の事例では。

自分のこと。

赦される(許されるではない)想像を超えているというのが、正直な感想。


理想主義と言われても仕方ないけど。


特定の宗教などに肩入れしている訳ではないのだけど、

なんだか、動物として、誰かにお詫びしないといけないのではないかと思う位で。


誰かが自死して、それを偲ぶだけでいいケースばかりなのかなあと。

社会が反省するというか、改めるということも、起きてもよかろうに。

マスコミがそういうケースを報道することが多くはなっているし、

同じ話題を色々な媒体で何度も見るせいで、刷り込みもあるんだけど。

でも、以前より、悼むべき死が多くなっているということは、嘘ではないのだろうな。

個人のプライバシーもあるから、あまり色々いえないけれど。

それでも、切ない出来事が多すぎる。

親の骨が葬儀的なものを経ずに自宅にあるという暮らしが、

普通に実在しているということも、ショックだった。

ケースによったら同情の余地もあるのだろうけどね。

なんでも非難すればいいってもんじゃないし。

とはいえ、公的機関ってのは手をさしのべる仕掛けがないのかあと、

ないというか限界というか。そういうのを知る機会ではあった。

少子高齢化というのは、国力とかの前に、語弊があるかも知れないけど、

シンプルに、死やその気配が今より身近になるということだ。

そして、日本では都市化を前提におきる事象でもあるから、共同体で支えあえない地域も

ある訳で、なおさら難儀なんだなというこも、今更に気づいた。

今のままだと、自分の死を気づかれない場合も含めて、

社会に知られない死が増えるということの兆候だと、感じる出来事がいくつかありました。

想像し得ることではあったろうけど、

突きつけられると、自分も他人事ではない気がしてくる。

仕方ない。

事情は様々あるだろうし、括っては語れないけど、死が放置されること。

感情論をなるべく排除しながら、冷静な整理が必要と感じる。

その後に、どう感じるか、どういう風にしたいか、できるのかということにも

向き合わざるを得ないだろう。

結果はともかく、最初の一歩は、家族の有無とは無縁に、

色々な命にどう向き合うのかということになるのだろうと思う。

何の儲けも生まないし、誰かが偉くもならないけど、こういうことをケアするのも、

大事な時代という気もする。

しかしねえ。

一部の人を除いては、いつだって稼ぎが薄くなる可能性に晒されている時代、

他人事ではないので、あまりキレイごとばかりはいえないのではありますが。

色々と難儀な時代になったんだなあ。

おそらく昔も多少はあったとは思うのだが、命との対比があまりにも鮮明すぎる事例が増えているのだと思う。

低年齢化、無視される死。

(まあ、もともと、無視される命もあるわけだが。難しい)


私がグタグタ書きましたけど、命の孤立への対応は、もう数年前から問題になっていて、

既に全国の自治会、病院、ケアハウスなどで色々と取組みもされているそうで。

そういう自治会のある団地にマンションから越す方もいるなんて話題も今日ニュースで見ましたねえ。

そんなこんだで、命の存在や尊厳みたいなものに思いをいたす

ことが多くなりがちなこの頃。

司法に委ねて個人的所見を語らない方が良いことも多いわけで、注意は必要ですが、

独り言したかったという次第でね。せつなくて、仕方なくてね。

戦場とか、とある地域と比べれば云々とかいう話も慰めとしてはあるだろうけど、

絶対的に命を考えたいとも思うし。

命の存在が軽く扱われやすい時代にあって、

命を生かすために考え、行動している人達こそ、尊いなと思います。

私が嘆いているのは、自分を慰めているだけで、役に立たず、お恥かしい限りなのであります。

他人事でしかないんですがね、もしかすると、同族としての何かの共有する危機感かとも思ったり。

私は他人の事を利することに、あまり関心はない人間(ひどいですよね、全く)です。正直。

それ自体が勘違いしているなあと自省する部分もありますが、

最近見かけるニュースには、そういう何かを感じたということでございます。

救うということって、幅が広いし、根気がいるし、自分のイライラとか感情を超えて、

相手を絶対的に認めるという覚悟がないと、到底向き合えんなと思うのですよね。

だからこそ、第3者の方が割り切れて向き合い易いんでしょうね。

さて。

私は私の命を生きるのが、まず大事と思って、またぼちぼち、やりますかね。


また重たくなってしまいまいしたが、こんな感じで。


次回以降は、なるたけ、あたり障りのないことを書きましょうかね。

でも、旅の記事は偏るんだなあ。まあ、いいか。


「まっすぐな道でさびしい」

なんだか急に、種田山種火の句が浮かびました。引用です。

色々あって、いいんだよな。な。

※個別の事件等への個別の批評、評価ではなく、全体感についての感想にすぎません。
  どうか誤解なく、ご理解賜ります様。


サイドB

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