ここだと、静かだよな。つぶやきも。 [断片]
裏面の何回目だろう。また、後でカウントアップするね。
なんとなく、多分、色々日本の家族制度に則った形式で「いえ」をこさえ。
経済を維持し、消費し、生き続けておりまする。
まあ、その範囲では最低、責任を背負っている訳でもあります。
こんなご時世でも、普通にという信条もあり、遊びたいとか、休みたいとかも、
考えたりして。
でもまあ、本年特有の要因や一般的要因により、現実も見えるわけでしてね。
そういものと、欲との両立とか、妥協とかは、まあまあ、だいたい無理なもんで、
考えるだけ無駄なこともありますわね。
で、まあ、うまくいかないことを、私の私的なことは大概、
困るなり、がっかりするのは自分だけですので、
捨ててしまおうと。そう思おうかなと。できたら、それは、それでええし。
私もぼんやりしているので、そのうち、他のことしてるでしょうと。
そうあれば、いいなと。
なので、捨てちゃえってのが、一番身の丈かなあと。
諦めるというのは、ちょっと哲学的で、内省的な感じだし。
そこまで、高尚じゃないですしね。欲望のタカサが。
「あー寿司食べたい」程度の、まあ、業界の方にはなんですが、
どうでもよろしいことばかり。なんです。そんなもんです。自分は。
「あー、だめねんねー。ほいたら、だめやわ」
ってな具合なもやもやですわ。
と、何をブツブツ言っているかというと。
今後の生活態度についての、自分への「おぼえがき」ですな。
まあ、なにかしら、形になることも、あるかも知らんですが。
まあ、悩むことは他に、たくさん出てくるはずなので、身軽にいなくちゃとね。
しかも、自分の欲で重たくなるのは、多分、愚かしいからな。
消費することを自由と勘違いしていた私。
今でもそうだろうな、欲まみれです。
なのでね。
ずっと前に、十何年か、そういう時代があったんだけどね。
欲といえば、「せめて4時間は寝たい」という。
霞ヶ関ってのは、本当に夜中まで働いてんだなあと、
帰りの車で眺めていた、午前2時。
平日は、そんな生活。
形式的な休みはあるけど、家でやらなくちゃということもあるし、
当然、リーマンは休日も出ますね。むしろ、手あげて、という時もあったかなあ。
まあ、休みでいても、寝ているか、起きていても、
稼ぎで拘束されてる感じがあって、遠出できなくて。
地元のスーパーのお酒コーナーでお酒の瓶を眺めるのが唯一のレジャーという。
本当ですよ。5分くらいかなあ。月に1度くらい。ちょっとおかしいよね。
当時は気づかなかったけど。
今の自分からは想像できない。
まあまあ、今は身の丈の自分で、生かさせてもらってます。
何が残ったのかなあ。
ぎりぎり、どうにか「稼ぎ」が残り、「いえ」も一応、継続した風できているな。
まあ、力まずに、付き合っていきまひょ。
ブツブツ書いているけど。
亡き父に、下手なお経でも読んであげた方が、世間的には格好はつくな。
ここでブツブツいっているよりも。
まあ、でも、ブツブツ書いてみたい日もあるんで。
しかし。
こさえたものが、案外大きくなったんだなあ。
サイズを把握できていない気がするが。
そう思うこの頃。
もうちょっと、枯れたココロにもなんないと、いかんな。
鮭の親の様に、食べられて生を終える的なね。
まだ、子どもなんだな、自分。
とはいえ、色んなことがいっぺんに起きて、まだ、驚いていているしね、
正直。
たまには、長くつぶやいくこともあるかもです。ご容赦。
自分の公開ノートになってしまうけど。
ちなみに。今頃になって、なんか、伝わるものがあったので。
この時代の音源を聴いてみたり。しております。幸宏さんのね。
アゲントコンシピオ時代かなあ。
これは前向きかな。
2曲目は。
暗めだけど、詞をね。聴いちゃうかな。
架空の1つの話として、僕の色んな時代の場面もよぎるし、
男とか女でもあるし、超越した何かの存在でもあり、自分でもある様な。
君として、歌われている人物がね。
思い込みですが。
と、なんとかブログの体裁を保ちつつ。
サイドB
なんとなく、多分、色々日本の家族制度に則った形式で「いえ」をこさえ。
経済を維持し、消費し、生き続けておりまする。
まあ、その範囲では最低、責任を背負っている訳でもあります。
こんなご時世でも、普通にという信条もあり、遊びたいとか、休みたいとかも、
考えたりして。
でもまあ、本年特有の要因や一般的要因により、現実も見えるわけでしてね。
そういものと、欲との両立とか、妥協とかは、まあまあ、だいたい無理なもんで、
考えるだけ無駄なこともありますわね。
で、まあ、うまくいかないことを、私の私的なことは大概、
困るなり、がっかりするのは自分だけですので、
捨ててしまおうと。そう思おうかなと。できたら、それは、それでええし。
私もぼんやりしているので、そのうち、他のことしてるでしょうと。
そうあれば、いいなと。
なので、捨てちゃえってのが、一番身の丈かなあと。
諦めるというのは、ちょっと哲学的で、内省的な感じだし。
そこまで、高尚じゃないですしね。欲望のタカサが。
「あー寿司食べたい」程度の、まあ、業界の方にはなんですが、
どうでもよろしいことばかり。なんです。そんなもんです。自分は。
「あー、だめねんねー。ほいたら、だめやわ」
ってな具合なもやもやですわ。
と、何をブツブツ言っているかというと。
今後の生活態度についての、自分への「おぼえがき」ですな。
まあ、なにかしら、形になることも、あるかも知らんですが。
まあ、悩むことは他に、たくさん出てくるはずなので、身軽にいなくちゃとね。
しかも、自分の欲で重たくなるのは、多分、愚かしいからな。
消費することを自由と勘違いしていた私。
今でもそうだろうな、欲まみれです。
なのでね。
ずっと前に、十何年か、そういう時代があったんだけどね。
欲といえば、「せめて4時間は寝たい」という。
霞ヶ関ってのは、本当に夜中まで働いてんだなあと、
帰りの車で眺めていた、午前2時。
平日は、そんな生活。
形式的な休みはあるけど、家でやらなくちゃということもあるし、
当然、リーマンは休日も出ますね。むしろ、手あげて、という時もあったかなあ。
まあ、休みでいても、寝ているか、起きていても、
稼ぎで拘束されてる感じがあって、遠出できなくて。
地元のスーパーのお酒コーナーでお酒の瓶を眺めるのが唯一のレジャーという。
本当ですよ。5分くらいかなあ。月に1度くらい。ちょっとおかしいよね。
当時は気づかなかったけど。
今の自分からは想像できない。
まあまあ、今は身の丈の自分で、生かさせてもらってます。
何が残ったのかなあ。
ぎりぎり、どうにか「稼ぎ」が残り、「いえ」も一応、継続した風できているな。
まあ、力まずに、付き合っていきまひょ。
ブツブツ書いているけど。
亡き父に、下手なお経でも読んであげた方が、世間的には格好はつくな。
ここでブツブツいっているよりも。
まあ、でも、ブツブツ書いてみたい日もあるんで。
しかし。
こさえたものが、案外大きくなったんだなあ。
サイズを把握できていない気がするが。
そう思うこの頃。
もうちょっと、枯れたココロにもなんないと、いかんな。
鮭の親の様に、食べられて生を終える的なね。
まだ、子どもなんだな、自分。
とはいえ、色んなことがいっぺんに起きて、まだ、驚いていているしね、
正直。
たまには、長くつぶやいくこともあるかもです。ご容赦。
自分の公開ノートになってしまうけど。
ちなみに。今頃になって、なんか、伝わるものがあったので。
この時代の音源を聴いてみたり。しております。幸宏さんのね。
アゲントコンシピオ時代かなあ。
これは前向きかな。
2曲目は。
暗めだけど、詞をね。聴いちゃうかな。
架空の1つの話として、僕の色んな時代の場面もよぎるし、
男とか女でもあるし、超越した何かの存在でもあり、自分でもある様な。
君として、歌われている人物がね。
思い込みですが。
と、なんとかブログの体裁を保ちつつ。
サイドB
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