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小さな記録。文章の力。 [好奇心]

裏面の253回目。

休み、などと言いつつ。もう出てきてしまいました。

内容的には軽く。

時代の変わり目はとっくに来たと思っておりますが、

その中の節目というか、始まりの終わりみたいな時期に、

わが国はなった様ですなあ。


にしても。

いやいや、大きなニュースが出だすと、

あれもこれも、出してしまえ的な

動きがあるんですかねえ。

普段目にしないニュースとか、

今じゃなくて分かっていたよね、

そんな話題が素人向けに出てくるねえ。


スポーツ新聞が売れるだけなんだよなあ。

まあ、いいか。

憂さを晴らすのが、それで済なら、

泣く人も少ないのだろうし。違うかな。


私も同じなんだろうしなあ(遠い目)。

そういえば、耐震偽装の被害者救済とか、過ぎた大事件の話は

あれは住民利益とかのためにアンタッチャブルなんだろうか。

解決したのかなあ。

飽きたのか。。。いや、そうでないと思いたいなあ。


さてと。

世間離れはしていませんが、

ずーっと向き合わなかった吉川英治さんの本を手にとっております。


五木寛之さんの「親鸞」を読んでいたのですが、

ひょんなことから、吉川英治さんのハードカバーを手にしまして。


読んでいるうちに、図書館で文庫を借りることにしまして。

「親鸞」に限らないのでしょうが、

美しい描写、人の語る言葉のぬくもりが伝わる様な描き方、

自分のイメージではありますが、

風景、衣装、臭い、音、人の揉める様子等々、

映画を観るのと違い、身の内で起きる反応であるため、

凄まじく迫ってきますなあ。


私は、先端技術を礼賛してしまうタイプに近いと思うのですが、

カルトな意味合いでなく書きますが、

脳内で起きることは3Dだ、何とかサラウンドだとかを

軽々超えるところにありますなあ。

カミの本をめくるという行為も好きだなあ。

古いといわれても、できるうちは、そうやって読んでみたいなあ。


うーむ。


読むのが遅い私ですが、あっと言う間に1冊目が終わりました。


五木寛之さんの時は、とにかく凝縮した文章で、さらりと仕立てているので、

これまた様子が良く分かりまして。

その時代に生まれていたら、大変だっただろうなあと、

胸が苦しくなる思いをしながら上巻を読み終えた感じでした。


読み比べをしたつもりはないのですが、

どちらも

(映像、音楽も同じでしょうけど)

言葉のプロの仕事に参ったという感じで。

吉川英治さんの代表作。

例えば、三国志とかに入ると、もう逃げられそうにないので、

「親鸞」だけにしておこうかと。


氏の代表作はもっと年をとるまで、とっておこうかと思います。

本当は学生時代までに読んでおく方がいいんでしょうねえ。

分かってはいるのですが、

縁も興味もなかったんですね、仕方ないです。

過ぎた日々の私は。


私の周りには小説(国内外問わず)が好きな人が大変多いのですが。


私は、小説は、嫌いではないけど、あまり読まないです。

なんでだか。特に拘りはないんですが。

もしかしたら、音楽でその辺の欲求が満たされているのかも

知れませんが。

まあ、

詩集、エッセイ、手記、事実を基にした論考的な本とか、

ドキュメントみたいのに、偏ってます。

ですが、

歴史がベースの作品は、とりかかりやすいので、

嬉しい思いをしております。


今回は「親鸞」をどう描いているかの前に、

まずは、文章そのものに、大変に感動をしてしまいまして。

この感動を記録しておこうと思った次第です。

少し先の自分あての手紙のつもりで。


親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

  • 作者: 吉川 英治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/08/03
  • メディア: 文庫



色々と学び関係も立ち上げなくちゃなのですが、

一足先に読書の秋であります。

長いひとりごとでした。


サイドB

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