「語り」を色々。難儀な批評抜きで。 [断片]
裏面の287回目。
今回も思想性ないですが、
人によったら、色々と思われるでしょうね。
なので先に言っておきます。
表現自体が法律に触れているものは、多分ないはずですが、
お好みに合わなければ、是非、続きをご覧にならずに、
なかったことにしていただきたい。
ということで、ひとつ。
では、おおきなお心で。
さらっと羅列します。
まずは。
かつての総理大臣の何かの映像みたいです。
私は、そんなに悪くは思ってないんですよね。
いけないでしょうかね。
子どもだったけど。
浜田幸一さん。
なんで、予算委員長なのかと、びっくりしたのを覚えてますなあ。
すぐに、特定政党への問題発言で、
お辞めになった記憶が。
うーむ、なんだか、すごい先輩だ。
時々、問題が起きたり、起したりされますなあ。。
(出演者にも、色々と問題あった人がいるみたいですが。そこはスルーして)
落語から。
柳家小三治さん(初天神)
三遊亭圓生さん(死神)・・・先代円楽さんの師匠です。白黒映像。
怪談ではないです。
でもね、SFかと思いますよ、話がね。
おまじないのセリフは、変る部分もあるみたいで、
私が最初に音声で聴いたのと違う気がします。
三遊亭歌之介さん。
画像のネタではないですが、「寿の春」は、
飛行機の中で聴いて、吹きました。。。
こないだ、CDで聴いて、やっぱり吹きました。
円歌さんのお弟子さんにあたるそうです。
年にほぼ一度だけテレビに出るということらしく。
その番組の模様です。
出身の鹿児島の地元局かな。
では、その師匠を。
新作落語のスタイルですね。
このタイトルで、前はもっと家庭の内情風な話をしていたなあ。
この時は、もうマクラと区切り無い感じで。
私はこの方、好きですねえ。
もの心がついた頃は、もう、おじさまでしたが。
コマーシャルとか、テレビとかで良く観ましたなあ。
立川談志さんの落語でなく「お喋り」とか「語り」、
色々な議員さんの報道されたご発言とか、
石原慎太郎さんの会見とかも、「語り」の視点で、
眺めたりしてました。
主張でなくね。あくまで、「語り」として。
でも、ここで採り上げるのはやめました。
なんていうかな、
これまでの刷り込みのせいで、偏見みたいのがある気もするので、
誤解する人が多いかなあと思って。
口調とか比喩とか、文脈が分からなかったりでの誤解ね。
口調が強いだけで、なんだか過剰反応もあるのだろうし。
そうすると、意図せずに、バッシングに作用してしまうのでね。
そういうことです。
私としては、いいなあという、「語り」はあるんですよ。
あれこれ言う人がいるだろうけど、
ある視点からは、きちっと逃げずに語っているなあというね。
好き嫌いとか、良いとか悪いとかでなく、
理性は残しつつ、きっと敵ができてしまうことも承知、覚悟しつつ、
でも情熱が先に立ってしまう様子という具合で。
でも、うまく、伝わらないだろうなあ。そう思ってね。
とにかく、一人で観ておしまいにしました。
音楽もその場限りですが、語りもその場限りですね。
場が大事ですね。
場を伝える技術も大事だけど、
伝えて欲しい事実は伝わらず、
伝えなくていいことが事の軽重問わず伝わったりして。
それで、私なんぞは、時間つぶしたり。
それでご飯食べている人もいて、
食べている人のおかげで、
また食べられる人もいるという。
何か変なんですけども。
まあ、私も身ぎれいじゃないなあと思うわけです。
同じ場にいるよなあと。
言葉について要求されていることは、
以前にも増して、神経質な感じですね。
そもそも、場(=社会)が、
無神経な設定になっている場合が多いのに、
神経質にいろいろ要求されている気がね。
仕方ないのでしょうけど。
でもね。
どうなんでしょうね。
私はさすがに、そういう設定は辛いです。
言葉なんて、本当に大変で。
皆、差別をしっかり受け止めてないだろうに、
差別と神経質が整理されないままに、
「なんとなく、いけない感じじゃない?」
という感じでの判断をしちゃう様なね。
悪意がなくても、お縄になったり、叩かれたり。
無知とか配慮不足だと、
批判、責任追及されたりしてね。
教育が足りないのでしょうかね。
それは。
なんか、違う気はするんですよね。
配慮と知ることの際って難しいところですが、
なんというか、ギリギリのとこまでは知っとかないと、
案外適当、無責任に反応しちゃうのではないかと。
そういった、ある意味、曖昧な部分を埋めるのに、
「語り」ってものの効用がありやしないかとね。
ちょっと違うけれど、
昔話とか、地元の民話とかに、
例えとか戒めとか、タブーが含まれている場合がありますよね。
それを伝えるための話でもあるんだろうけど。
まあ、色々ありますが。
流暢という意味でなく、人の語りに味のある土地って、
なんだか、人間的という気がするのですよね。
優しさも、冷たさもあるけど、
でも、やっぱり、人を人と思うからこそ、目を離さない。
無視をしないというね。
いたわりも、衝突もあるという。
これは、私自身だけの問題かも知れませんが、
そこのところが薄くなっているなあ、
そんな感じがして。
私自身が都会でそうできるかというと、
大変は修行がいる気もしますが、
今年は絆を思う人が多い年になったということで、
確かにそうも思いますがね。
それとは別の元からの話ということで。
まあ、
最近、語りもの(浪曲とかも興味があって。。。。)に
傾倒しつつある理由を、自分のためだけに、
探ってみた感じですかね。
最後にあれこれ書きましたが。
10月もさくっと動きだしまして。
楽しみはたくさんあるのですが、
季節の変わり目に難儀してます。いろいろ。
苦手でねえ、要は。
今年は思ったより難儀で。
体調がもう少しってことでね。
もうちょっと、ギアチェンジに時間が必要、
そういうことです。
まあ、元気だして行きましょう。CMみたいですが。
「語り」を聴いて。
ね。
「音楽」も聴こう。
と、つぶやきつつ。
では。
ご息災で。
サイドB
今回も思想性ないですが、
人によったら、色々と思われるでしょうね。
なので先に言っておきます。
表現自体が法律に触れているものは、多分ないはずですが、
お好みに合わなければ、是非、続きをご覧にならずに、
なかったことにしていただきたい。
ということで、ひとつ。
では、おおきなお心で。
さらっと羅列します。
まずは。
かつての総理大臣の何かの映像みたいです。
私は、そんなに悪くは思ってないんですよね。
いけないでしょうかね。
子どもだったけど。
浜田幸一さん。
なんで、予算委員長なのかと、びっくりしたのを覚えてますなあ。
すぐに、特定政党への問題発言で、
お辞めになった記憶が。
うーむ、なんだか、すごい先輩だ。
時々、問題が起きたり、起したりされますなあ。。
(出演者にも、色々と問題あった人がいるみたいですが。そこはスルーして)
落語から。
柳家小三治さん(初天神)
三遊亭圓生さん(死神)・・・先代円楽さんの師匠です。白黒映像。
怪談ではないです。
でもね、SFかと思いますよ、話がね。
おまじないのセリフは、変る部分もあるみたいで、
私が最初に音声で聴いたのと違う気がします。
三遊亭歌之介さん。
画像のネタではないですが、「寿の春」は、
飛行機の中で聴いて、吹きました。。。
こないだ、CDで聴いて、やっぱり吹きました。
円歌さんのお弟子さんにあたるそうです。
年にほぼ一度だけテレビに出るということらしく。
その番組の模様です。
出身の鹿児島の地元局かな。
では、その師匠を。
新作落語のスタイルですね。
このタイトルで、前はもっと家庭の内情風な話をしていたなあ。
この時は、もうマクラと区切り無い感じで。
私はこの方、好きですねえ。
もの心がついた頃は、もう、おじさまでしたが。
コマーシャルとか、テレビとかで良く観ましたなあ。
立川談志さんの落語でなく「お喋り」とか「語り」、
色々な議員さんの報道されたご発言とか、
石原慎太郎さんの会見とかも、「語り」の視点で、
眺めたりしてました。
主張でなくね。あくまで、「語り」として。
でも、ここで採り上げるのはやめました。
なんていうかな、
これまでの刷り込みのせいで、偏見みたいのがある気もするので、
誤解する人が多いかなあと思って。
口調とか比喩とか、文脈が分からなかったりでの誤解ね。
口調が強いだけで、なんだか過剰反応もあるのだろうし。
そうすると、意図せずに、バッシングに作用してしまうのでね。
そういうことです。
私としては、いいなあという、「語り」はあるんですよ。
あれこれ言う人がいるだろうけど、
ある視点からは、きちっと逃げずに語っているなあというね。
好き嫌いとか、良いとか悪いとかでなく、
理性は残しつつ、きっと敵ができてしまうことも承知、覚悟しつつ、
でも情熱が先に立ってしまう様子という具合で。
でも、うまく、伝わらないだろうなあ。そう思ってね。
とにかく、一人で観ておしまいにしました。
音楽もその場限りですが、語りもその場限りですね。
場が大事ですね。
場を伝える技術も大事だけど、
伝えて欲しい事実は伝わらず、
伝えなくていいことが事の軽重問わず伝わったりして。
それで、私なんぞは、時間つぶしたり。
それでご飯食べている人もいて、
食べている人のおかげで、
また食べられる人もいるという。
何か変なんですけども。
まあ、私も身ぎれいじゃないなあと思うわけです。
同じ場にいるよなあと。
言葉について要求されていることは、
以前にも増して、神経質な感じですね。
そもそも、場(=社会)が、
無神経な設定になっている場合が多いのに、
神経質にいろいろ要求されている気がね。
仕方ないのでしょうけど。
でもね。
どうなんでしょうね。
私はさすがに、そういう設定は辛いです。
言葉なんて、本当に大変で。
皆、差別をしっかり受け止めてないだろうに、
差別と神経質が整理されないままに、
「なんとなく、いけない感じじゃない?」
という感じでの判断をしちゃう様なね。
悪意がなくても、お縄になったり、叩かれたり。
無知とか配慮不足だと、
批判、責任追及されたりしてね。
教育が足りないのでしょうかね。
それは。
なんか、違う気はするんですよね。
配慮と知ることの際って難しいところですが、
なんというか、ギリギリのとこまでは知っとかないと、
案外適当、無責任に反応しちゃうのではないかと。
そういった、ある意味、曖昧な部分を埋めるのに、
「語り」ってものの効用がありやしないかとね。
ちょっと違うけれど、
昔話とか、地元の民話とかに、
例えとか戒めとか、タブーが含まれている場合がありますよね。
それを伝えるための話でもあるんだろうけど。
まあ、色々ありますが。
流暢という意味でなく、人の語りに味のある土地って、
なんだか、人間的という気がするのですよね。
優しさも、冷たさもあるけど、
でも、やっぱり、人を人と思うからこそ、目を離さない。
無視をしないというね。
いたわりも、衝突もあるという。
これは、私自身だけの問題かも知れませんが、
そこのところが薄くなっているなあ、
そんな感じがして。
私自身が都会でそうできるかというと、
大変は修行がいる気もしますが、
今年は絆を思う人が多い年になったということで、
確かにそうも思いますがね。
それとは別の元からの話ということで。
まあ、
最近、語りもの(浪曲とかも興味があって。。。。)に
傾倒しつつある理由を、自分のためだけに、
探ってみた感じですかね。
最後にあれこれ書きましたが。
10月もさくっと動きだしまして。
楽しみはたくさんあるのですが、
季節の変わり目に難儀してます。いろいろ。
苦手でねえ、要は。
今年は思ったより難儀で。
体調がもう少しってことでね。
もうちょっと、ギアチェンジに時間が必要、
そういうことです。
まあ、元気だして行きましょう。CMみたいですが。
「語り」を聴いて。
ね。
「音楽」も聴こう。
と、つぶやきつつ。
では。
ご息災で。
サイドB