SSブログ

課外活動(落語)。関内寄席 『立川志の輔 独演会』 @関内ホール(2012.3.1) [落語]

裏面の339回。

前回のストライクカンパニー主催ライブ鑑賞記事は、もう少し人目につく様に、

しておきましょうかね。

リンクをね、つけておきます。

課外活動(音楽)・ストライクカンパニーpresents第五回株主奏会@高田馬場CLUB PHASE(2012.2.25)


さて、今回はこちら。

(全般に写真のピントから何から、いまいちですが、機材も腕も悪いまま、

 勢いで撮っちゃったんで、ご勘弁を。雰囲気で、どうかひとつ)

P1000048.JPG

チラシには、こちらが入ってました。

ピントのずれをごまかすために、写真を小さくしたりしてます(汗)

P1000049.JPG

P1000050.JPG

本当はですね、昨年3月に開催されるはずだった独演会だそうです。

関内ホールで。



東日本大震災の影響で中止となり、今年、改めて開催されたという次第だそうで。

ということで、「開口一番」はお弟子さんでなく、

そういう経緯もあり、志の輔さんが一席やってくださいましたよ。

ええ。

今回は子どもと一緒の観覧でした。教育の一環。のつもりです。

ということで、本日の番組(というそうで)がこちら。

本日の番組

一.ハナコ  ・・・開口一番を志の輔さんが。創作ネタ。
        
一.御神酒徳利
        
 ~お仲入り~

一.抜け雀

P1000046.JPG

ハナコを除くと、不思議と、この1週間にポータブルプレーヤーで聴いていた話でしてね。

聴いてなかったから、聴いてみたというだけで。たまたまですね。


御神酒徳利は、圓生師匠のでもなく、勿論、志の輔さんのも持ってなくて。

ただですね、落語ファン倶楽部という雑誌で、圓生さんが御前公演で扱った噺というのを読みましてね。

で、プレーヤーにないか探してみたんです。

そうしたら、五代目小さん師匠のがあって、それを聴きました。


今日観て、舞台とか色々なキッカケが違ったので、帰宅してネット検索してみましたらね、

元々上方の噺だそうで(良くありますが)、五代目小さん師匠の噺は、

上方の筋に近いそうで。


本日の舞台は宿屋さんでしたが、これは、どうも、六代目圓生師匠などの噺の形の様です。

志の輔さんも、そちらがベースなのだろうということが分かりました。

志の輔さんのもCDが出ているらしいので、いづれ入手してみたいところです。


抜け雀は、志の輔さんの噺を今週聴いたんです。一昨日くらいに。

本日は、細かいところを、少し変えてあるところがあったかなあ、という感じでした。


これまで、音だけで想像していたわけですが、

動き、表情を観て、余計にまた音でも楽しめるなあと思って観ていました。

まあ、何しろ、生はその空間(今日は広めな方だとおもいますが。狭い方がいいのかね)で

笑い声も共有するし、落語家さんの息遣いまで、じっと観て感じている訳でね。

感想はと言われれば、良いに決まっている。ということになりますね。

別に、チケットが取りにくいからとか、そういうことでなくね。

でも、たまたまチケット取れたんですけどね、完売まで早かったねえ、確かに。

場所によったら、やはり、初日に売り切れるんだろうなあ。



あとは、マクラとかの話。

冒頭の噺のマクラは挨拶半分、ネタに絡む様な挨拶の続き的なもの半分でしたね。

先に書きました様な本日の独演会特有の事情や、東南アジアでの落語会でのお話が中心でした。

1席目となった、「ハナコ」って話は、「あらかじめ」色々説明してしまう、

律儀なおかしみと、切なさが入り混じった様な話に思えましたがね。

これとちょっと絡んでましてね。


お土産さんがお土産の包装に手間取って、何度もやり直して10分以上待たされたという

エピソードがあって、

日本人なら「あらかじめ、時間がかかるから、どこか色々見てくださいまし」

という様な説明しますよね、「日本人でたいしたもんですよ」的にあげておいて、

話になだれ込むという具合。それが噺の中では、そこがおかしみになってゆくというね。


説明するのは野暮。ではありますが。


2席目もマクラがあって、

1席目のマクラでも話された落語会(数年継続しているそうです)がらみでした。

シンガポール滞在にまつわるはなし(マーライオンの話、風水の話)、

風水から昨今の芸能界的に話題になっている某漫才師と同居しているという占い師という

とっかかりで、占いって難しいという様な流れで、御神酒徳利に入ってきました。


話題の占い師の話しは、マクラの繋がりにしただけという感じで、

話題自体は天気の話をする様な程度の数十秒話をしたというだけです。

「電話した」だの「がんばれ」だの、そういう話は一切ありませんでした。(笑。当然か)


仲入り後の3席目は、マクラなして、入り。

サゲの後に、幕が降り、そして再度あがりまして、

昨年の震災から、師匠他界、パルコ公演から本日に至る諸々のことの総括的な

話をされました。



例えるなら、何も考えられない状態で、だからこそ、役になりきれるという

そんな心情を少々、お話されておりました。


が、直接的にはたくさんは話しませんでしたが、

やはり立川談志の死というものが、落語家志の輔さんとしては、

やはり大きな出来事であった様な感じを受けましたねえ。そりゃそうでしょうね。


12月のお別れ会があって。

その後位から、少々、先に書いた様な、

何も考えられないなあと思う。

そういう様な状況があるそうです。


私の受け取りとしては、恐らくは、空虚な感じがするということでは、ないだろうか、

そう思って聴いておりました。


落語は好きで、話をするのも好きなんだけれども、

今は、まだ、あいた穴をぼんやり覗いてしまう様な気分、という感じでしょうかね。


会の性格にもよるのでしょうけれど、先だって観覧した、

志らくさん、談笑さんの会では、あまり立川談志さんの話はなかったですね。たしか。

まあ、志らくさんが少し触れていたかなあ。


わざとそうしたのだろうと思いますけれどね。

だって、自分達の会だから、自分達がしっかりとやらなくてはいけない、

そう思うのがプロってものでしょうからね。

あえて触れないというのも、また芸人魂なのかなあと思っていました。


志の輔さんも最後の最後まで、立川談志の話題には触れなかったですし。


ではありますが、最後の最後に、立川流の第2世代の一番頭である志の輔さんが、

ゆっくりと、自分の気持ちと対話しながらの様にして、語ってくれたのが、

印象的でありました。


本日の観覧記録はこれ位です。


あとは感想とか、落語と私、みたいな話を。


ゼニに余裕がない私ですが、

前回の志らく・談笑両氏による二人会、そして今回の志の輔さんの独演会は、

立川談志が亡くなってしまったからこそ、

芸の上での子ども達を観に行こうじゃないか、そう思いたって観覧した次第です。

手を合わせることも良いけれど、それより、生きている立川流を多く観た方が

供養になるんじゃないかあ、とね。


とか、なんのかんの言って、単純に観たかっただけです(笑)。


師匠方は全員私より人生の先輩なんでね、そんな上から目線みたいな態度じゃないです、勿論。

拝見する、ってなココロ持ちです。

自分の学校の先輩がいたり、高校時代の音楽仲間の先輩でもあったりする方も何人かいらして。

マンモス学校に行っていれば、誰かしら、有名人にあたるというだけの話ですが。

でもね、まあまあ、縁があるじゃないかあとね。いいじゃないかあと。

そうして、2回。立川流の一部ですが、親しんでみた次第です。

最近の私は、わりと、落語を聴く時間が多いです。

落語の世界は通でもなんでもないので、

まあ、若干立川流、柳家、古今亭の何人かに偏りつつも、手当たり次第です。

無計画に親しんでます。


好きな人をただ、手当たり次第に聴いたり、本を読んだり。

知らない人でもテレビで観て、気にいった人、次またチェックしようという人が増えたり、

という最近です。

音楽でいえば、ベストヒットUSA、MTV、UHFのロックの番組、FMのロック系番組等々を

はじからチェックしていた当時と何も変わらないわけです。


そういえば、昔は違ったんですね。

落語でであってないんです。

林家三平さんもかなあ、月の家円鏡(現 橘屋圓蔵)さんも。

三遊亭圓歌(当時は、歌奴。テレビのCMに出ていたのを観てました)さんも。


テレビ、ラジオですね。

タレント的部分で、幼稚園とかそういう頃に触れている世代です。


立川談志も同じでして、小学生でしたかね、もっと小さかったか。

親が見ていた番組に出ていたのでしょうね。

何の番組だったかは、全く覚えていません。

ちょっと難しい大人の人みたいだぞ、という記憶が残っているんです。


最初は立って喋っているのをテレビで観ていた記憶があるんで、

落語家とは思ってなかったはずなんです。

その後、落語の人なのに、政治家になったらしい、というニュースみたり。

なにか、沖縄関係でもめてた、とかね。記憶の断片があるわけです。

まあ、消える頃に、昔のエピソードをどこかで聴いて、

残ってきたってことかも知れないですが。


で大きくなるにつれ、落語は知らないけど、テレビだろうが、雑誌だろうが、

色々な場で、かなり過激な事を言ったりするけれども、

ある角度から見れば、まあ筋は通っているという様なことが、割にあって。

ちょっと特別に思う様になりました。別に考えを支持するとかでなく。


そして、高校生の頃だったか。

テレビでしたが、落語をしているのを初めて観ました。

何の話か忘れたんですが、マクラからキレイで。

雪が降って、ゲタで歩いたあとを読んだ詩か何かを、ただ喋っただけなんですがね。

「ニの字、二の字の下駄の跡。~」って、わりとこざっぱりとして着物でね。

落語家らしく座布団の上に座って、落語をやってました。

ものすごく情感があったんです。言葉に。

(後年の色々な音源に残るマクラとは趣きが違ってました、今は、あれはアレで大好きですが)


で、落語的な理解はできなかったんですが、演じる立川談志の姿を観ているのが

心地よくて、最後までその番組を観たのを覚えています。



少々立川流から話がそれますがね、

五代目小さん師匠も、「長短」を観て。これはいいなあと思って、記憶に残った。

小三治さんは、何かの大喜利番組とか、クイズ番組とかでずっと観ていて、

何かの時にテレビで落語を観る様になって。

いい雰囲気の話し方だなあって、記憶していたんです。


そういう人あげたら、通の方ほどでないにしろ、何人も書きたい人が出てきて、

駄文を連ねることになるので、やめますがね。


まあ、そういう記憶の断片がきっかけとなって、この2、3年位の間に、

だんだんに落語を聴いたり、テレビで観たり、ドキュメンタリーを観たりする様になりました。


今じゃ、日に1度は何かの落語を聴いているという感じがありますね。

かなり偏ってますが。

まあ、ロック聴くのと同じくらいの親しみ具合で、落語聴きます。

長くなりましたが。


話を戻しますとですね、

落語小僧ではない私でありますが、ない頭で考えて、気持ちと相談をして、

今回の様な形で立川談志の死を受け止めてみた。

ということであります。


まあ、残念なことに、私は立川談志が存命中に生で高座を観ていないから、

なにしろ、音や映像しか頼るところがないのですが、

それでも、これからも、生きていた頃と変わりなく、何度も聴く噺があると思うし、

マクラ的部分で語る、随談といいますか、そういった話も何度も聴くだろうと思います。


この数年、落語を聴き始めたと申しましたがね、

最初にびっくりする位に感動した落語は、

立川談志の鼠穴でした。


落語っていいなあ、と思いましたね。

勿論、滑稽話も好きで良く聞きますし、好きな人、大勢います。

分類ということでなくて、驚いちゃったんですね。

これは、芝居なんだなあと、今頃ね、思ったんですよ。

あの驚きがなかったら、それほど落語を聴いていないと思います。

驚いた理由が自分でも分からないのですがね。

立川談志さんだったから、それだけ、なんだと思うのです。

志の輔さんも聴かなかったろうし、

こうして、落語を観に行くこともなかったと思います。


そういえば、また話が変わるというか、微妙に戻るのですがね、

私は実は柳家小三治師匠が元から好きなんですね。


立川談志は兄弟子にあたるそうですが、

近年は直接的に接点は、あまりなかった様子ですね。

インタビューなど読んでますとね。

まあ、それはともかくですね、

(立川流の話をさんざん書いておいて、反則とも思うのですが)

次はいつか、柳家小三治の独演会に行きたいなあと思っています。


親子会が7月にあるというので、迷ったんですが、

独演会が近くであったら、チケットが取れるかトライしてみようかなと。


そのお弟子さんに当たる師匠の高座も観に行きたいわけですが、

私の中の順番があるのでね。

なので、次は、柳家小三治師匠となっております。


立川ではじまって、柳家で締めると、

誰かに怒られそうですが。あいすみません。


ではでは、またの機会に。

どうか、ご息災で。


サイドB



タグ:立川志の輔

共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。