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2009年8月石垣島と竹富島。そして台風やり過ごしの記(あと高野寛さんサイトの更新情報) [旅]

裏面の150回目です。

シルバーウィークでしたね。

行楽、お仕事に色々とお疲れ様でした。

さて、こちらは、淡々とそろそろ2ヶ月前になる旅の記憶、
引き続き、書き出してまいります。

(諸般の事情からFMであった清志郎のスペシャル番組を
 聴かなかったので、引き続き、旅の記録となりました)

入る前に、高野寛さんの情報。

10/7発売の新譜「Rainbow Magic」の特別ページが公式サイトにできましたよ。
最近はFMラジオへの生出演があったり、

細野さんのラジオでかかったり。

段々発売が近いという感じがしてきました。

http://www.haas.jp/

http://www.haas.jp/rm.html

アルバムへのメッセージあり(メーリングリストでも貰っていたものかなあ、多分)。

収録曲の1曲ごとにコメントが書かれていますよ。

曲の背景を知ると、また興味の方向も増えて楽しいかも。

ということで、本編に入ります。



前回は与那国島を飛行機で離れたところまで、でした。

そして、石垣島に戻りました。

最初は台風の影響は大きくなく、フツーの石垣島でした。

いつもの様に離島桟橋(ターミナルというのか、今は)へタクシーで向かい、

竹富島行きの乗船券を買い、荷物を預けました。

(私達がいつも乗る船会社は荷物を預けるのが有料になってました。
まあ、利便を考えれば高くはないですけど)

昼ごはんを食べていないので、
お店で地元の菓子パンとマリヤ牛乳を買い食事。

ゲンキ牛乳もありますが、今回はマリヤにしました。
あとで、シェイクとかソフトなどを飲む前に牛乳自体を味わおうということもあり。

このあたりは表面で書いておりますが、そうこうしておりましたら、

3年越しに表面のブログつながりのご一家と初対面を果たし、

一緒に「あやぱにモール」方面へ向かいました。

途中、それぞれの用事のために散開。

我々はお土産の事前チェックをしたりし時間を過ごしました。

8月初めには、もうスナックパインがなく。残念。

所謂夏休みの入り口位までおしまいだったみたいですね。

そう考えると、5月にはいさいFESTAで売っていたのを

買って食べても良かったか、などと軽く後悔したりして。

親族達はお土産ウォッチング。

私はその間に、「タウンパルやまだ」さんに。

そうです、ストライクカンパニーのCDを買うためです。

セカンドミニアルバムでTHE BOOMの山川さんがプロデュースしています。

「電車は走る」です。

公式サイトからも通信販売で入手できます。
http://strikecompany.com/

私はこの旅があったので、石垣島で買ったというわけです。

元々山田書店という名前のお店でもあった様で。

公式サイトがアップデート中の様なので、場所情報用として、
あるネットショップのお店のページをご紹介。

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SF/ShotenHome?shotenCode=88765&List&TohanShotenHome

さてストライクカンパニーは、中核メンバーが3人です。全員石垣出身。

それぞれにブログをもっていますよ。

私はTHE BOOMのサポートもしている方にコメントしたら、マメにレスを返してくれました。

買ったCDは、随分聴いてます。



さてさて。話を戻します。

ブログつながりのご一家とは、

しばらくして「あやぱにモール」内で集まる形になりました。

私達が竹富島へ向かう船の時刻が迫ってきたので、

先にお別れをしました。

いつもの様に船で竹富にわたりました。

お迎えにきてくれた宿の人、明るく曰く・・・。

「台風が直撃するかも知れないです。その時は早めに石垣にお戻り頂くかも知れません」

「!」(私の心の中)

と、いつもと様子が違う。

この時は、ぼんやりと台風で早く帰ることもあるだろうとは思いつつも、

まさか、この話が本当になるとは思ってはおらず、軽く聴いておりました。

さて、お宿は、前回と同じ部屋。

まさしく帰ってきたという感じ。

夕食もいつもの様に目にもおいしい料理。

竹富にきたなあと、少しホッとした様なことでした。

自転車の調達が色々ありできなかったということで、

特別に夕陽対応ということで車を貸してもらえまして、

今回は初めて車で夕陽を見にゆきました。
(自転車の代車が車・・・でも、一見、地元の人に見えたかたも)




竹富島観光がスタートしたのですが・・・。

以降の行動は表面で紹介していますので、関東に戻るまで一部省略とさせて頂きます。


その後は台風のために、島内放送やツアー中心連絡の電話が入ったりして
にわかに「脱出」態勢に・・・。


そうして急遽短い滞在になったのでありますが、
意味もなく、足で島をブラブラする時間もできたし。

まあ良かったです。

・・・あっという間に、石垣島に戻り・・・

石垣島でも、風が強くなる中、飲料、食材などの買出しが思い出になりました。
最初コンビニにはパンが売っていなくて。

飛行機が飛んでないからと店員さん。

私は地元のパンを置いてある店に急ぎ、予定分を確保しました。

ふと台風が長引いたらと考えがよぎり、カップラーメン風なものを追加購入すべく、
宿に向かう途中にもう一度コンビニに寄りました。

そうしたら、入れ替わりでパンの納品があったみたいでした。

私はもうパンを買わないですが、よかったなあと、思いました。

とにかく品物がどの店に行ってもなかったですからね。

すぐに食事するタイミングでもあったので、実際に親族で入店はしなかったですが、
A&Wをテイクアウトして、宿に戻りました。

風の強さといい、雨の量といい、ギリギリのタイミングで食料を確保した具合でした。

・・・食料は少し余っただけで、まあ良かったです。
   (宿が1食臨時に用意してれくれたりしたので)
  
あとは3日間(最終日は食事をしに、ペンギン食堂、焼き肉屋に外出はしましたが)は、
ホテルを家にして、ぐーたらしておりました。

まあ、そうするのが安全だったということで。

お陰で、地元のラジオ、テレビをたくさん視聴できました。

特に、石垣のコミュニティーFMは、台風を迎える市民の生の声が伝わってくるので、
「こちらの人も不安があるのだなあ」と安心を覚えました。

風が強いので、ボイラーがきかなかったりしてお湯が出ないとか、
些細なことに弱ってしまう都市暮らしの私ですが、

外の嵐を眺め、ラジオを聴いていると、まあこうして、
宿にいて飲み水はなんとかなる状態にいることは、
ありがたいことだと、つくづく思いましたねえ。

旅に日程は半分で終わってしまいましたが、
日程との兼ね合いで空港他の公共施設で過ごした方達も多かった様ですからね。

何かの被害を受けた訳でもないし、無事で帰ってきたのですが、
やはり、関東で経験した大きい台風との比較ではなかったです。

暴風25m。与那国では40、50当たり前。60とかもあるとか。
どういう世界なんだろう・・・・。こわ。

地元のタクシーの方は「フツーの台風」と言っておりまして、
だいぶ驚きました。
でも、そう言っている地元の人といると少し安心したりして。

やはり、土地に根をはって暮している人は強いなあと、
そんなこと思いましたね。

ラジオも含め、やはり地元のことは、地元。そう思いましたね。


その後は、まあ石垣を離れて家路についたわけです。

表面で書かれたいたとおり、石垣の天候の関係で、使用機材が着陸できず欠航というのが、
出始めていて、ギリギリでした。

那覇は、無関係に晴天で・・・。

那覇をとびたった飛行機は、まるで琉球列島遊覧の様なコースでした。

沖縄島を那覇から南部に下って東側をずーっと北上。与論、奄美の島々とずーっと見えていました。
(政治的な意味合いは特にありませんが、基地とおぼしき土地も大きな敷地でしたねえ)


最後は駆け足でしたが、こんな感じで、しばらくは、内心、放心状態でした。
与那国を離れる前から段々に予想しながらも、台風のために島を離れてから家につくまで、
私なりに緊張していたからでしょうかね。

何度も旅されている方は、当たり前に経験していることの様なので、情けない次第ですが。

次以降どこかで、
宿以外で、今回の旅に関係する場所、団体、企業等のリンクを載せる回をつくるつもりです。


ということで、2009年夏の八重山への旅行の記録は、ほぼおしまいです。

字だけの記録にお付き合い頂き、感謝します。


では、また。
(乱文、誤字脱字、多謝。随時、訂正に努めます)

サイドB


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